こんにちは。
今回は"GWに田舎から来た両親がGoogle音声検索を使いこなしてた話"
タイトルのまんまです。
GWということで、両親が大阪観光のために田舎から遥々車でやってきた。
別に大阪は初めてというわけではなく、というか母親に至っては学生時代は京都で過ごしていたし、両親が結婚後はしばらく滋賀で暮らしてたらしいから関西に来ること自体は別になんでもないこと。
行きたい店で田舎には無いものがいくつかあるから、そういうところを適当に回って美味しいもの食べて酒飲んで終わりって感じのなんでもない休日だった。
それはそうとして、今回したいのは家族で和気あいあいと過ごしましたよ(へへへ)って話じゃなくて、久々(と言っても3ヶ月ぶり)にあった両親がGoogle音声検索でほとんどのことを調べてて驚いたってはなし。
滅多に車を運転する機会がない僕がハンドルを握ってあちこち行ってたんだけど、その時に両親がGoogle日本語入力を使って美味しそうなレストランだったり行きたいお店だったりを調べて目的地までナビゲーションしてくれてた。
去年の夏にこういう機能があるんだよ、ってお遊びで教えたつもりだったんだけど、今ではそれをメインで使ってるみたい。
理由はちょっとダサくて、未だにフリップ入力に慣れなくて、それなら声に出したほうが早いし楽じゃんってなって使い始めたらしい。
例えばFaceboolやGmail、Skype、Dropboxその他諸々のWebサービスって、どちらかと言うとリテラシーの高い人たちがどんどん使いこなして便利になっていくってものが多かったと思う。
僕もこういったサービスを両親に何度も何度もレクチャーしたけど、やっぱり概念的な問題があって自然に理解することが相当に難しいみたい。
こっちからすれば、
"インターネットに繋がっているのか繋がっていないのか"
"データが端末内にあるのかどこか遠くのサーバーにあるのか"
これくらいわかれば実用上は困らないだろうと思うんだけど、どうもその感覚を自然に理解できる頭の構造になってないらしい。
だから普通にそれらのテクノロジーを使えて恩恵を受けてる人たちが、それを出来ない人を見て、
「おいおい、まだそんな原始的なことやってんのかよ」
って悪く言えば見下すような感じがあったと思う。
少し前にIT革命が起きて人々の生活は驚くほど便利になってきた、その一方で"デジタルデバイド(情報格差)"や"情報リテラシー"、さらには"情弱・情強"といった言葉が象徴するように、恩恵を受けてどんどん便利になっていく人とそうでない人との差がどんどん広がっていったように感じる。
それに対して今回のGoogle音声検索は僕の周りを見てもそんなに使ってる人がいない(人前で使ってないだけかもしれない)ものを両親が平然と使ってて、そのテクノロジーが一部のリテラシーの高い人たちのものだけじゃなくて、それよりはむしろ僕の両親みたいな、決してリテラシーが高いとは言えない人に使われていることに少し感動した。
大げさに言えば、テクノロジーって本来こうやって人の役に立つべきなんじゃないかと真剣に思った。
今流行のサービスってIT分野の最先端にいる人達が、こんなのがあったら便利だねって言って作ったものが多いと気がして、それはそれでもちろん素晴らしいことなんだけど、Google音声入力はうちの両親のような層をインターネットの世界に引き込むもので、発想が根本的に違うよね。
こういうのを考えてやれるのって次元の違うすごさだと思う。
そしてこれからもっと便利に、色んな人がいろんなことを何不自由なく出来るようになる世界になっていくんだろうなあと改めて感じた。
余談だけど、もちろん両親がGoogle音声検索を完全に使いこなしてたって言うのには少し語弊があって、ルート検索で出てきた道が有料道路を通るような道になってたり、検索したレストランがGoogle上では営業中だったのに実際行くとGWで臨時休業だったりと、色々と問題はあった。
これは本来なら有料道路を通らない設定にしたり、調べたレストラン自体をググり直してGWみたいな特殊な場合の営業日程を詳細に調べないといけない。
そこまではうちの両親も追いついてなかったらしくて、色々と問題はあったけど、以前よりは遥かに便利になっただろうし、何より楽しそうにスマホを使ってた。
あとは父親が音声検索するときに語尾に「〜を教えて下さい」と言っててそれを聞いて母親と一緒にケラケラと笑ってたんだけど、まだまだ完全に使いこなすのは難しいみたい(笑)